【Webクリップ】スポーツ研究者が抱えるスポーツアーカイブの問題意識
元フィギュアスケート選手の町田樹さんは、現在はスポーツ研究者として大学教員を務めている。その町田さんは日本の”スポーツアーカイブ”に問題意識を持っており、これはアーティスティックスポーツに限らず、スポーツ全体の発展を目指す上で重要な問題である。
過去を見返すための資料へのアクセスが困難
”スポーツアーカイブ”とは、スポーツに関する様々な資料を保存し継承することで、その対象には試合結果や試合の映像、過去の競技規則等が含まれる。その重要性を町田さんは記事内で下のように語っている。
こうして現代に生きる私たちがスポーツをより良く実践することができたり、あるいは、スポーツそのものをより良く発展させていくことができているのは、いつでも歴史を顧みたり、過去の情報にアクセスすることができるからです。
「日本のスポーツ界は結果が出てしまったらもうおしまい」。町田樹が募らせる危機感、スポーツアーカイブの現状とは?(REAL SPORTS)
ここで言われている「過去の情報」としてイメージしやすいのは、たとえばアスリート自身の過去のプレー。今やアスリートは自身のプレーを映像で記録、客観的に見て反省して改善するのが当然になっているが、これが過去の情報の活用例だ。一般の社会人においても、日記やメモから自身の行動を反省することの重要性は広く認識されているだろう。
にもかかわらず、見返すための過去の情報が保存され、アクセスできる状況であることが維持できていないと、町田さんは考える。その実例の一つとして、国内随一のスポーツアーカイブ期間である秩父宮記念スポーツ博物館・図書館を取り上げ、対外的な公開サービスが停止していることを「日本スポーツ界の枢要施設が機能不全に陥っている状態」と表現している。
アーカイブをもっと大雑把に捉えれば、日本人選手初の4回転サルコウを決めた本田武史の映像が残っておらず、誰も見ることができない状況を想像してほしい。過去の偉業を映像で見ることができないのは、率直に残念ではないだろうか。
アーティスティックスポーツの研究者ならではの問題意識
とはいえ一般にスポーツに触れる人からは、アーカイブに関する問題意識は共感されにくい。過去の大会映像を見返したい人はそう多くないだろうし、録画で十分だと言う人もいるだろう。さらにフィギュアスケート等のアーティスティックスポーツ[1] … Continue readingだからこそ強い意識でもあるだろう。そのためこの問題がフィギュアスケートの研究者である町田さんから提起されていることは納得できる。
アーティスティックスポーツは、パッと思いつくスポーツ(野球やサッカー、陸上等)と比べて、過去の大会、つまり先人の演技との繋がりが強い。アーティスティックスポーツは芸術性が強く、プログラムを”創作”するにあたって芸術的価値の文脈を理解する必要がある。誰がどの曲をどのように演じてきたのか、そしてそれがどう評価されてきたのかを理解して初めて、自身のプログラムに芸術的価値を見出すことができる。アーカイブは単にもう一度楽しむために再観戦したり、自身のパフォーマンスを反省するための資料に留まらないのだ。
もう一つ加えると、研究者としては過去の映像にアクセスできないと研究が成立しないため、その意味でもアーカイブが正常に機能していることは重要だ。記事内でも触れられているが、たしかに動画サイトには権利的にグレーな動画は散見され、過去の映像を参照することは不可能ではない。ただグレーな動画は研究発表として公には使えないため、アカデミアにおいては存在しないことに等しい。
たとえば西洋絵画の論文を発表する時に、研究対象の絵画が公開されている必要である。そうでないと、第三者がその絵画を確認し、論文の主張が正しいのかを検証できないためだ。そのため、まずは過去の映像が正式に存在する状態にすることが彼含めた研究者の活動には不可欠なのだ。
もちろん研究者としての需要はごく一部ではあるが、しかしスポーツ界全体で見ても過去の映像等の資料にアクセスできることのメリットは少なくない。今後は単なる一過性の大会ではなく、アート作品のように二次利用までを見据えてスポーツを運営していく必要がある。
メディアスポーツ時代の動画アーカイブの難しさ
こうした”知のインフラ”を維持すること、特に大会映像のアーカイブが難しい理由に、映像の著作権がある。フィギュアスケートの映像は各テレビ局に眠っている状態であるが、それは現在利用されていないだけではなく、利用するには著作権料が必要なため眠っている。
これは芸術の世界だと誰も美術館に入れない状態と言える。これでは鑑賞者が過去の名作に触れてインスピレーションを受けることも、未来の芸術家が創作技術を盗むこともできない。過去の作品を公開しないことは、未来の可能性をすり減らしているのだ。
スポーツ界はメディアの普及とともに成長を続けてきた。多くのスポーツ関係者が放映権料の恩恵を受けてきたし、それによって豊かなスポーツ環境がある。しかしそれにはデメリットがあるのも事実で、アーカイブの難しさはその一つである。
アーカイブは直感的にメリットを実感しにくく、組織内で予算を確保することが難しい。だからこそ町田さんのような研究者の方が論理的にその必要性を説いて、社会的な存在感が強くなっていくことに期待したい。
参考
スポーツアーカイブについてより詳しく知りたい方は、2020年に発表された町田氏の論文を紹介しておく。
脚注
↑1 | 町田は「アーティスティックスポーツとは、フィギュアスケートがスポーツとアートの汽水域にある、境界領域にある、重複領域にあるイメージを端的に表したものです。あくまでもスポーツなのだけれども、芸術性を備えている。そういうスポーツとアートの間にあるというニュアンスを込めました。」と述べている。 出典:町田樹(2022)「研究者・町田樹32歳が語る“フィギュア界への警告”「(シニア年齢引き上げ案)そんなに甘い問題でもない」「非常に歪な産業構造になっている」」,NumberWeb<https://number.bunshun.jp/articles/-/852826> |
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