【書評】映画に快適を求める人たち

はじめに

いまやたいていの動画サイトに備わっている”早送り”や”倍速”、さらには”10秒スキップ”機能だが、これらを利用して映画を早送りで見る人が増えているらしい。そんな視聴体験変化の実態と背景が描かれた1冊。

最近の若者に限ったことではない

まずは映画を早送りで見たい思いは、現代の我々だけに見られる特殊な欲求なのだろうか。その回答の一つに「映画史初期から存在する」と主張するのが、映画研究者の伊藤弘了だ。
手回し映写機の時代は、映写技師の匙加減の部分もあったようで、例えば皇室に関するフィルの場合は速度を遅くするといったガイドラインがあったようだ。さらには顧客の回転率を上げるために早回しにしていたケースもあったようで、さまざまな事情に合わせて映画の再生速度を調節するという欲求は存在していたと思われる。

https://twitter.com/hitoh21/status/1522916907279843330?s=20&t=KrMTl1uZ8x7xeUL8bCUr4A

ここから早送り欲求が現代の若者に限った話ではないことが伺える。こういった新しい文化が芽生えた際、往々にして若者の態度や考えが批判的に捉えられるきらいがあるが、これについてはそう言い切るのは難しそうだ。

タイムパフォーマンスの最大化

歴史的に欲求自体が存在していることはわかった。では現代の特別な背景は何か?を論じているのが本著である。その一つに挙げられているのが「コストパフォーマンスの最大化」だ。特に時間のコストが重要視されるため、「タイムパフォーマンス(タイパ)」とも筆者は表現している。
タイパの重視は、駄作やつまらないシーンをとにかく省くことを意味する。とにかくハズレの作品を見ることを避け、ネットレビューや友人の紹介などを頼りに、より確実な作品を集中的に見ることがタイパの姿勢だ。

そのタイパに駆り立てる一つの理由が情報過多だ。現代はインターネット技術の発展に伴い、処理すべき情報量が増えている。映画も同様、公開され耳に入ってくる作品数が多く、それゆえ網羅するのは現実的ではない(というか無理)。そうなると効率的な情報摂取が必要となり、タイパを重視する視聴態度に寄っていく。
映画に限らず、「最近見たコンテンツ」は頻出の雑談テーマだ。コミュニティ内で話題になったコンテンツが多いほど、視聴が間に合わない。「いつでも見れる」ことによって、「見逃す」ことがなくなったために、負債が溜まっていく構図が出来上がっているように思う。

快適主義

内容や視聴後の感動がある程度見えている安心感が、タイパにおいて重要である。それは時価の寿司屋を避けてしまう理由に近い。つまり値段が分からずソワソワしながら食べるお寿司よりも、明瞭会計の回転寿司の方が、タイパの思想に沿った選択だといえる。

作品に安心感を求める考え方を筆者は「快適主義」と名づけた。快適主義において映画等の作品を観ることは、趣味での鑑賞よりも、ストレス発散が主な目的になっている。不快になるような作品やシーンは飛ばして、自身の快適に繋がるシーンだけを摂取するのだ。自身の好きな映画に対する批判なども、ストレスがかかるので見ない。そのような姿勢が早送り視聴の傾向にあるという。

ちなみに著者の調査において、若者世代で早送り視聴している人には罪悪感を感じていない人も多く、むしろ”消費者”の自由と言わんばかりであったそうだ。そういった早送り視聴する人の作品への向き合い方についても興味深い内容があったので、ぜひ本著を手に取っていただきたい。

新しい視聴スタイルを前提に考えていく

早送り視聴の背景には、人々に金銭的・精神的・時間的余裕がなく、映画鑑賞が贅沢な趣味になってしまった社会があるように感じる。そのため、一個人としてはもっとみんなに余裕があれば!と率直に思ってしまう。まさしく時価の寿司屋を敬遠するのと同じで、コスパを重視せざるを得ないくらいに逼迫している。失敗を耐えうる余裕がないのだ。

そんな極論はあるものの、早送り視聴へのスタンスを明確にすることは難しい。私自身、作者目線では決められたスピードで最初から最後まで見るのが真摯な姿勢だと思うが、一方で享受者目線だと倍速でサクサク観進めたい欲求もないとは言えない。実際テレビ番組だったら1.5倍で観ることは割とある。

読了後の早送り視聴へのスタンスは「新しい倍速視聴のスタイルを前提に、制作者・享受者共に幸せな未来を考えていきましょう」だ。これは本著で引用されている久保田進彦[1]青山学院大学教授の考えに近い。

核兵器と一緒ですよ。すごく困ったものではあるけれども、〔倍速視聴の視聴スタイル〕作ってしまったのは事実なのだから、核兵器が存在するという前提条件の上で、どうするかを考えていかないと(括弧内筆者補足)

第5章,第4節,第10段落

本著を読むと、映画を早送り・倍速で視聴することは人間の純粋な欲求の表れであり、それを抑え込むことは難しいように思う。そして新しい視聴スタンスを否定することも、今後無かったことにするのも難しいと感じるため、それを前提に考えていく方が建設的だと思われる。
例えば、倍速視聴は自由に再生速度を変えられる点で、我々の積極的な視聴体験であるが、それすらも許さないくらいの映画が登場するかもしれない。倍速する気が起きないくらい面白い作品は、このスタイルへの一つのアンサーだろう。そしてその作品は「倍速せずに観ちゃいました」と称賛されるかもしれない。

サッカーが受け入れられるために

最後に(無理矢理)サッカーに広げて考えてみる。以前レアル・マドリードの会長が「若い世代にとって、サッカーの試合は長すぎる」といった趣旨の発言をして話題になった。これは若者のJリーグ離れの認識から、この危機感に同調する人は多かったと感じる。

サッカーが早送り視聴文化から学べることとして、「どんな対象でも、受け手の状況によって体感時間は大きく変わる」ことだろう。つまり試合時間を20分にしたところで、「長すぎる」と感じるのではないかと思う。個人的には試合時間を調節してJリーグ、サッカー離れを食い止めようとする戦いは分が悪いと考える。SNSと比較すると時間感覚が2つくらい次元が異なり、いくら短くしたとしても6秒まではならないからだ。

もう一つヒントになるのが、倍速視聴してみて、面白かったらもう一回見るという考え方だ。これはサブスクサービスにおいては何度見ても料金は変わらないので、ざっと見て、周りの評価も聞いて、もう一度見る価値があると感じれば、2度目視聴の判断もあり得るのだ。
となるともっとハイライトのように再生時間を調節した動画が広がる可能性はないだろうか。お試しでハイライトを見て、面白そうだったら試合本編を視聴する、といった流れだ。単に「長すぎること」にフォーカスするのではなく、より快適なコンテンツに変化させていくことが、一つの方向性としてある。もちろんそれがスポーツの価値を毀損していないかのチェックは必要だが。

いずれにせよ、現地観戦を至上のものとするのではなく、一つの重要なスポーツ体験としておきつつも、別な体験価値を生み出していくことが必要だろう。能動的にも受動的にも楽しめることが、スポーツの良さだと思うので。

おわりに

「映画を早送り」と聞くと、けしからんと思う人にこそ読んでほしい。それなりに理由や背景があり、そうならざるを得ない社会状況が隠されている。それらを理解した上で、より良い未来を探っていければ嬉しい。

本著はその他にも、スマホ等の1人で視聴できるデバイスの発展や、映画を早送りで見ることの芸術鑑賞としての問題点についても論じている。限定的ではあるが、若者世代の実態調査も行われているので、思い込みで話す前にぜひ一読してほしい。

脚注

脚注
1青山学院大学教授